プライベート

②独学で仲間達とアーティストのバックダンサーなった物語(全6話)

約5分で読めます。

Back up dancer2

このシリーズは、ある大物アーティストの初ライブバックダンサー@武道館に辿り着くまでストーリー。

その大物とは?

 

宇多田ヒカル

 

ヒントはプロフィールで。

ダンスに出会い、初の大きな仕事をして、最後にダンサーライフ初の挫折を体験する。

14〜24歳の過去10年間をギュッと「全6話」に渡りお届け。

 

  • ダンスを始めたきっかけ。
  • ダンス仲間との出会い。
  • ダンス活動の内容。
  • ダンスが仕事になるまで。

 

下の記事にも簡単に書いたけど、今回はさらに深く書いていこう。

 

23年間ダンスのタイトル画像
【ダンスイップス!?】僕が23年ダンスを本気でやった結果...約4分で読めます 今回は、 14歳から始めたダンスを"20年以上"やり続けてどうなったか? こんな話をしていこうと思う...

 

これを書く理由は、

「ダンスを楽しんでいたら仕事になっていた」

を伝えるため。

 

最初は自分もダンスは趣味だった。
そこから、

好きなことを仕事にする

というライフスタイルの重要性が、このストーリーで伝われば嬉しい。
時代は変われど、きっと引っかかるものがあるはず。

 

注)名前は全て仮名orイニシャルです

 

早速、記事を見ていこう!⬇︎⬇︎⬇︎

 

ダンスとボクシング人生の2択。

中学卒業の時期の話・・・。

ダンスの練習は仲間と変わらずしていたが、中学卒業を期に全員はバラバラの高校へ。

 

地元では頻繁に遊んでいたのだが、ダンス熱には差が出始めていた。
同級ダンスメンバー5人➝3人までに減っていた。

 

自分は都内私立の男子校に入学することになる。
通いやすくボクシング部があるという事で決めた。

 

入部当初は毎日ボクシングの練習に励んでいたのだが、外ではクラブやイベントに通い朝帰りする生活をしていた。

そのため「ボクシングの硬派vsダンスの軟派」の対極の葛藤が起きていた。

独学で学んだダンス生活

ちなみに自分にはダンスの先生という人がいない。

なぜなら、ほぼ仲間たちと独学で学んでいたから。
スクールに通った経験はあるが2ヶ月と超短期間である。
しかも片道2時間の野外レッスンである。

 

そこで教わったのは「リズムの裏取り」と「スライド系」だけ。

 

中学の仲間達も各自が好きなスクールへ通い、各自が学んだ新しいスキルをシェアするというシステムを取っていた。

 

これは今でも使えるシステムだと思う。
スキルのシェアは仲間がいてこそ効果を発揮する。

 

➝自分で習うインプット
➝仲間に教えるアウトプット

 

この重要性は、この記事にも書いたので是非読んでほしい。

上達
【最短!上達率100%】プロがガチアドバイス!ダンス上達法6つ!【最短!最強のダンス上達法】をプロが伝授!最短で上達させる具体的なコツとアドバイスを理論的かつ具体的に徹底解説!...

 

今でこそ海外ダンサー動画は見放題だが、当時はYoutubeもなく動画をシェアするという環境ではなかった。

そのため有名な外人ダンサーの映像は非常に貴重であり、先輩達も外に出すのをためらっていた。

まるで裏ビデオのような存在だった。

 

当時は練習やダンススクールと言えば外が普通だった時代。
商業ビル・デパート・公民館など姿が見えるガラスがあれば、光に集まる虫のようにダンサーが集まり練習やスクールをしていた。

 

ダンス練習画像

 

夏は汗グダグダ。冬は服モコモコ。

そして、今はかなり減ったけどドレッドダンサーがそこら中に溢れていた。
「ヒップホップ」「 ダンサー」といえばドレッドヘアーだったのだ。

 

ドレッドヘアー

 

さすがに高校では無理だったが、エセドレッドヘアーで我慢していた。

これは三つ編みパーマをかけてほぐし、そこにスプレーやジェルで固め軽いドレッド風になるというもの。

しかし、このエセドレッドがボクシングの道を阻むことになる。

 

髪で決断をした日

ボクシング部で1年生の新人戦が近くなった合宿時期の事。
顧問の先生にこう言われた。

「その髪じゃ合宿連れてけん。」

と。

 

ついにキタなぁと思った。
ダンサーとしてのビジュアルのプライドを取るか、ボクシングの新人戦を取るか。

葛藤の選択を迫られた。

が、もちろん!

 

ダンスを選択!

 

今思うと、普通に髪を切ればよかった。
と思うこともある。

でも、そのぐらいビジュアルは自分の中で大切な要素だった。

この出来事で部活を辞めることになる。
….もう引けない。

 

ある意味、この選択が本格的なダンス人生のスタートとなる。
ボクシングよりダンスを選んだ瞬間であった。

 

決断力
【決断力アップ】迷いをなくし無駄な時間を減らす3つの方法明けましておめでとうございます。 本年度もよろしくお願いしますね! 2020年の初記事は、 決断力を上げて迷いをなくし無駄...

 

初のダンスチーム活動開始

ボクシング合宿に行けなくなった事がきっかけで、ますますダンスライフが深まっていた。

この頃は、「チーマー」「サーファー」「スケーター」の全盛期。

 

自分の学校にはダンサーは自分ともう1人ぐらい。
とにかく校内にはダンサーという人種がいない状態。
それもあり、外での活動とクラブを通した仲間がどんどん増えていった。

 

そして自分達はダンスチームとして、本格的な活動をし始めていた。

メンバーは…あの中学で唯一残った「リアール」・「T」・「M」の3人チームである。

 

チーム名は「YO-SAKU」
渋いでしょw

 

この時代のダンス活動といえば六本木がメインだったであろう。
横浜、川崎も有名だった。

 

現在はないが六本木に「R?hall」(アールホール)というクラブがあった。
そこはダンスカルチャーメインストリームであり、ザ・ダンサーの溜まり場でもあった。

 

六本木Rhall画像

 

若手、大御所ダンサーみんないた。
この話を聞けば歳がバレるぐらいのレベルである。

川崎クラブチッタもこの頃からダンスイベントをしている。

六本木にはEROS(エロス)というクラブもあり、ここではダンスイベントではなくパーティーが開催されていた。

パーティーといっても…

 

パーティー画像

こっちではなく

パーティー画像

こっちのほう。

 

当時クラブでパーティーと呼ばれるイベントがあり、パー券などはワルたちの貴重は収入源だったのだ。

今思うと凄い時代だったと思う。
未成年には危険過ぎる…(笑)

 

暴走族とチーマーがゴッチャになっていた時代。
そう、ディスコとクラブが丁度入れ替わる時代でもあった。

 

そんな活動をしている中で、自分のダンス活動をメジャーにしていく仲間達にも出会い、さらに輪が広がっていくのであった。

 

戦略
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そのまま高校を卒業することになり、

ダンスでいく!

この決断を自然に仲間と模索し始めるのだった。

 

続く…

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