今回は、
スターバックス創業者「ハワード・シュルツ」のサクセスストーリー
について書いていこう。
なぜスターバックスは成功したのか?
成功に導いたハワード・シュルツとは?
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店に入るとコーヒーの香りと店員の「こんにちは」が出迎えてくれるスターバックスは、今や世界70カ国以上に24000店以上を構える大企業。
家でもなく、会社でもない。
第三の場所として多くの人々の憩いの場所となるスターバックスをここまで成長させたのは、かつて低所得者アパートに暮らしていたハワードシュルツだった。
これは誰よりも人を大切にし、成功を掴んだハワードシュルツのサクセスストーリーである。

ハワードシュルツの生い立ち
1953年7月19日ニューヨークのブルックリンにユダヤ系ドイツ人の移民である夫婦の間にハワードシュルツは生まれた。
シュルツの父は祖父が早くから亡くなったことから、10代で働きに出て軍人や配送業などとても過酷な肉体労働で生計を立てていた。
年収は2万ドルに達することはなく、低所得者アパートで一家は暮らしていた。
そんな中でも母親は小さい頃からシュルツに希望を持ってもらうため、いろんな成功者の話を聞かせていタノだった。
そんなある日、当時7歳のシュルツが家に帰るとソファーに白いギブスで巻かれた父親の姿があった。
どうやら荷物の配送中に氷で滑って足腰を骨折してしまったらしい。

しかも保険も保証もなかったのでシュルツ一家は非常に苦しい生活になってしまった。
長男だったこともありシュルツは家計を助けるために、12歳で新聞配達や食堂で働き16歳で授業が終わると毛皮加工工場で働きだす。
とにかく劣悪で苦しい生活から抜け出したい!
と考えていてシュルツは大学にも通いコミュニケーション学を学ぶが、将来は特に何をしたいかはまだはわかっていなかった。
スターバックスのきっかけ
大学を卒業した後も何をしたいかわからず、ミシガン州のスキーロッジでアルバイト生活をしたりしていた。
そんな中、コミュニケーション学が役立ったのか、ゼロックスのワープロの営業マンとして採用され営業を磨いた後に家庭雑貨メーカーで一生懸命に働くことになる。
ただシュルツは雑貨に興味がないことを感じており、しばらく働いた後に辞めようとした。
すると上層部が
「シュルツは仕事ができる」
ということで、副社長というポストを与える代わりに残るように説得。
しかし、未だやりたいことがわからないシュルツは20代も終わりを迎えていた。
そんなある日。
ある店がコーヒーメーカーを大量に注文してきた。
その店は「スターバックスコーヒーティースパイス」という名前だった。

シュルツはまだ10店ほどしか出店していないスターバックスに訪れる。
その雰囲気が気に入り、1年も交渉を続けた後に何とか入社する。
ただ、その当時のスターバックスは、
コーヒー豆を煎り、お客さんに豆の知識を魅力的に語りドリップコーヒーメーカーを販売するだけの会社だったのだ。
そんなある時、シュルツはイタリアで出会ったエスプレッソコーヒーの味に感動し、これをスターバックスでもやろうと提案。
しかし、スターバックスの経営陣は
「自分たちの価値観に合わない」
という理由でシュルツの案をことごとく拒否。
そこでシュルツはスターバックスを一旦離れ、自分で「イル・ジョルナーレ」という店をオープンして売上を上げることにする。

スターバックスを買収!想いを形に。
ここでセールスマンとしての才能を発揮。
成功を確信したシュルツは翌年、投資家から380万ドルをかき集めてスターバックスを買収することにする。
そして、この店でシュルツが目指したのは単なるコーヒーショップではなく、
お客さんが「自分の場所だ」と感じられるような場所を作る。
ということだった。
そのためにシュルツはインテリアやコーヒー豆も最高品質のものを選び、従業員もパートナーと呼び、心地よい接客ができるようにしたのである。

中でも全米を驚かせたのが、アメリカ発の従業員全員に
健康保険を適用。
学生に対しては大学の補助金なども影響するほど。
たとえアルバイトでも人に対して思いやりを持つ方針だった。
これは7歳だった頃、シュルツの父が怪我をしても保険が適用されなかったためである。
シュルツは、
「父が本来働きたかったような企業を作りたい!」
という思いの表れでもあった。
そうした思いがお客さんの支持を集め、年平均成長率は49%に達し売り上げも右肩上がりにどんどんと伸びていく。
スターバックスの株価下落!そして…
2000年にシュルツがCEOを退職しても、しばらく成長し続けたスターバックスだったが、この時の経営陣は成長を続けるスターバックスの間違いには気づいていなかった。
そして、数字を意識しすぎて無理な出店をした結果…。
株価は81%も下落し赤字へ。
この時期には人材不足やクオリティを下げてしまい、
店内は焦げたチーズの匂い
関係のないぬいぐるみが販売
などされていた。
さらにシュルツが経営陣に対して危機を嘆いた手紙を送ったところ、それが社外に漏れてマスコミに大きく取り上げられてしまう。
すると世間からは一斉に非難の嵐が。
この状態を立て直そうとCEOに戻ったシュルツだったが、もはやブランドを立て直すことは不可能とさえ思われていた。
しかし、ここでシュルツは驚きの発表した。
その内容とは、
「北米11.000店を全て閉鎖する」
というもの。
世間はシュルツが迷走していると思い、多くの人が「株を売った方がいい!」との声をあげていた。
しかし、11000店にも及ぶストアマネージャーを一箇所に集めたシュルツは、
「竜巻カトリーナの被災地でボランティアをする!」
と従業員を大切にし、再び立ち上がる意志を強く伝えたのである。
その後、売り上げを犠牲にしてでもコーヒーの匂いを妨げる商品を廃止したり、最終手段として600店舗を閉鎖するまでに追い込まれる。
スターバックスのブランド確立!シュルツの教え
それからわずか2年後。
シュルツの涙の想いが伝わったのか、スターバックスは再び客足を取り戻す。
そして、翌年の2011年11月には過去最高利益を記録。
この快進撃によってシュルツはフォーチュン誌のビジネスオブザイヤーに選ばれるまでになったのである。
低所得者アパート出身。
大学卒業後やりたいこともなくふらふら。
そんな青年はやがて、コーヒーやそれを大切にする人たちとの出会いによってスターバックスを率いるまでになった。
その根源にあるのは、幼い頃の父との経験である、
従業員やお客さんに対する深い愛情
シュルツのその軸がぶれることはなかった。
たとえ目指す道がわからなくても、
「目の前のことに目を向ける」
「人を愛する気持ち」
を持てば必ず道は開かれる!
ということを彼は教えてくれたのかもしれない。
もし、あなたが進むべき道を迷っているのであれば、まずは目の前のことに愛を持って取り組んでみて欲しい。
一歩一歩、約束した以上の実績を積み上げていく。長い目で見れば、それが成功するための唯一の秘訣なのだ。
by ハワード・シュルツ


