今回は、
アパレル企業”ZARA”創業者のアマンシオ・オルテガの生い立ちとサクセスストーリー
を書いていこう。
彼の歩んだ人生を振り返ることで学べることがあるかもしれない。
大企業を一代で作り上げたアマンシオ・オルテガの幼少期

ZARAはスペインで生まれたインデックスが展開するファッションブランド企業。
世界中190カ国に7000店舗10万人もの従業員を持ち、毎年2兆円以上もの売上を誇るモンスター企業である。
この企業を一代で築いたオルテガの幼少期を見ていこう。
1944年、鉄道マンだった父の影響でスペインのア・コルーニャに引っ越した当時8歳のオルテガは家が貧しいながらも5人兄弟で楽しく毎日を過ごす子供だった。
家は貧しかったが何とか学校には通うことができていた。
しかしそんなある日、母親といつもの食料品店に買い物に行くと店員にこう言われた。
「悪いけどもう掛売りできないよ!」
と買い物を断られてしまったのだ。
ここでオルテガは、”自分の家が貧乏で苦しい”ということにかなりショックを受けた。
とても家族思いのオルテガ。
そんな彼は家計を助けるために通っていた学校辞めて12歳という年齢で洋品店で働き始めたのだった。
来る日も来る日も荷物を分けたり、家族を支えるために雑用の仕事を一生懸命に取り組む日々を送った。
5年の歳月が経ったある時。
オルテガはラ・マハにある規模が大きい用品店で働くことになる。
そこの支店では兄と姉も一緒に働いていた。
ここの支店でオルテガは、奥さんそして兄弟とでしばらく働いたのだった。

会社を起業
1963年27歳になったオルテガ。
兄と奥さんと共に会社を辞めてGOAという用品店を起業した。
従業員は親族のみ。
奥さんや兄嫁が一緒に縫い物をするという家内工場の状態だった。
長年、用品店で働いた経験を生かして製造に特化し順調に売り上げを伸ばしたオルテガは次に小売業に手を伸ばした。
それが最初のZARAだったのである。
オルテガは最初そのお店の名前を”Zorba”という名前にしたかったそう。
しかし、既に使われていたため現在の”ZARA”という名前になったらしい。
ファッション業界でノーマークだった”ガリシア”という土地から現れたZARA。
オルテガの故郷ア・コルーニャとマドリードの国道沿いに順調にルートを拡大していた。
しかし事業が拡大するうちに、こう感じ始めていた。
「家族経営には無理がある」
こう考えたオルテガは外部コンサルタントだった「ホセ・マリアカスティリアーノ」を正式にマネージャーとして加入させた。
これを機にZARAは大きく発展していくことになる。
1985年までに38店舗に拡大。
それ以降インディテックス社の傘下として様々なブランドを生み出しながら快進撃を続ける。



ZARAの成功の秘密
それはこれまでのファッション業界の常識を破るような経営である。
例えば、
普通は1つのコレクションを作るのに9ヶ月から1年以上もかかる。
それをZARAは生産・物流・販売を全て自社で行うことで、最短2週間〜4週間で作り上げてしまう。
そして、商品展開が巧みなことで有名。
消費者の意見や他ブランドのコレクションを研究し、コマーシャル・チームがデザイナーと新商品を随時制作するが、新商品はすぐに大量生産しない。
まずは消費者の反応を伺うような形で販売を始め、売れ行きが好調であれば似たようなデザインで改めて展開するという方法を採用している。
商品展開と配送のスピードこそ、ザラの成功の秘訣なのである。
こうした手法で次々と店舗を広げ、10万人もの人が働く巨大なZARA帝国を築き上げた。
しかしオルテガのプライベートのこととなると話が変わってくる。



顔のない帝王オルテガ
オルテガはかつて顔のない帝王と呼ばれていた。
2000年の株式公開の前に初めて顔が公表されたくらい、メディアに対し顔出しを嫌っていたのである。
この理由は、
「顔を見せれば家族にも迷惑がかかる」
という家族を愛するオルテガらしい行動だった。
25年間、1日も休みをとらなかったオルテガは1つだけ後悔していることがあるという。
それが、やはり”家族と過ごす時間が取れなかった“こと。
特に愛してやまない母親に
「どうしてもっと会いに来てくれないの」
と言われたことを彼女の死後も気にかけているのだとか。
人に対する愛は家族も社員に対しても同じだった。
社長という立場も関係なく、社員食堂で従業員と一緒に昼食をとるオルテガ。
もしかしたら、これが一番の成功要因だったのかもしれない。



ビルゲイツを抜いて世界一の大富豪に
そして2015年オルテガは、ほんの一瞬だが総資産約8兆円でビルゲイツ追い越して世界で一番の大富豪になったのである。
この日、故郷スペインには国の英雄のごとく大きくそのことが報じられた。
ただ謙虚なオルテガはインタビューを受けてこう言っている。
「私の会社と私のことを書く際に会社を私が作ったとは書かないでください。
会社には8万人が働いており、彼らも会社に貢献しているのですから」



オルテガの教え
はじめは鉄道マンの父を持つ貧乏な普通の家庭で育ち、中学も途中で辞めた”ちっぽけな少年”だった。
しかし彼はシャツメーカーに勤めて、当時の妻とリビングでビジネスを始めた。
これをきっかけに大富豪へと成長したのである。
彼は実践し教えてくれた。
戦略次第で、どんな分野でも、どんな環境にあろうとも大きな成功を収めることができるのだ。
と私たちに証明してくれた。
もしあなたが、彼の生き様に影響を受けて
「何かを始めよう!」
と思ったのであれば、今がその時なのかもしれない。
人々を愛してほしい。
それ以外のことは後からついてくるさ。by アマンシオオルテガ